君の名は。

映画観てきました。以下の文章に映画のネタバレを含みます。賞賛する内容ではありません。

新海誠氏の作品は初めての鑑賞です。

 

 

*****

 

合わなかったです。

たくさんの方が感想を書いていますので、個人的に苦手だったところ、違和感が拭えなかったところだけ簡単に挙げます。

 

*オープニングアニメーションによるネタバレ

もうこれが決定的にだめでした。がっくり来てしまった。始まってそうそうネタバレのオンパレード。

プロモーションで、「出会うはずのない2人の高校生の精神が入れ替わる」というところまでは判っていて、そういうテーマの作品を観に行った。

そこであのオープニング、2人の年齢が違う、生きている時間軸自体が違うという、物語のキーとなる部分が明かされてしまう。

作中突然髪を切った姿に、ときめくことも驚くこともできなくなったし(そもそも友人らがあんなに驚くのも違和感がある。まあバッサリいったもんだが、あそこまでわなわなと震えるものだろうか?)

髪を切った姿を見せる前に、首から上を映さない演出がこれで台無し。

また、成長した姿が映されたことで、ラスト、三葉が救われたのかどうかハラハラすることができなかった。(これについては、そういう点でハラハラさせる目的はハナからなかったのかもしれない)

 

*音楽がしつこい

日本語歌詞で心情をモノローグとして伝える手法なんでしょうか、映像と演技でじゅうぶんにわかるそれを言葉にされるとやや怠くなりますし、

BGMではない音量ではっきりと聴こえる日本語のボーカルは多用されるとウルセーな!という思い。

思い入れのあるバンドならいいのかもしれないけど、歌を聴きに行ったんじゃなくて、物語を観に行ったんだよ。

 

*入れ替わったときに手首の組紐に気づかない。

途中、あれ?組紐?と思ったのですが。何故本人たちは触れなかったのか。

もしかして寝る時外していて、瀧イン三葉時には着けてない?三葉イン瀧は髪を結うのに紐を使ってはいないが、鏡台の中は見なかったのかな。この点はわたしの見落としなら、これは流してください。

 

*祭りの出店の電力

おのおの発電機を用いるのでは…?

 

*三葉の父はかつて妻の言葉を「妄言」と思っていたのか?酷くない?

小説版で補完されてるのかもしれませんが、映画としてひとつの作品として、映画だけ観ればわかるように纏めてほしい…。

 

*メモや日記があるのにも関わらず「宮水神社」という決定的なワードで検索しない瀧

なぜ?としか言えない。

 

*瀧の家族は? 

あまりにも希薄ではないか。これもなんかあるのか。

 

*瀧の旅先での先輩らの行動

旅先で書置きだけ残し単独でいなくなり、何処へ行ったかさっぱりわからない。

前日に起きたことの異常性や瀧の様子からして、最悪の事態を想定してもおかしくないと思うのだが…。

あの状況で捜索願も出さずに2人はあっさり東京へ帰ったのか?ちょっとうすら寒い。捜しまわるとか、何らかのアクションを起こしたのなら相当大変だった筈だが、

再会した先輩が語る当時の様子の話ぶりからすると、サッサと帰ってそうで怖いよ。

 

*邂逅時のやりとり

これはもう本当に個人的な好みなんで言いがかりですけど、罵って吹き出して…イチャイチャしたやりとりが受け付けなかった。おまえら500人の命運握ってんだぞ…

 

*わたしの共感性羞恥

これも言いがかりです。入れ替わった2人のまわりの人たちの様子がもう居た堪れなくて、序盤はずっと辛かった。

しかも夢じゃないと気づいたあともよく登校し続けたなあ。自分なら恥ずかしくて、入れ替わりの日は引きこもるように指示しそう。バイトは何とかなったけど、まさか巫女の舞やらされやしないかと思ったら、椅子に座っているのすら辛かった。やらされなくて良かった…。

 

*****

 

だいたいこの辺が引っかかって、物語に没入できないまま終わってしまいました。

あとはもうガジェットとして、スマートフォンさえ存在しなければ、例えばもっと離れた時代の2人にして、絶対に逢えない切ない物語も作れたんだろうなあという思いもあります。

これこそ本当に個人的好みですけどね。逢えないラストが良かった気がします。

 

 

**1/16追記メモ

 

物語を楽しむ、というのは、フィクション、つまり主軸になる大きな嘘、いわゆる設定を、無条件で肯定するところから始まる。

そのまわりを自分の知っているこの世界の現実、リアリティのある描写で固めることでフィクションは本当に存在するかのような説得力を得て、わたしたちは感情移入できる。

精神が入れ替わること、彗星を引き寄せる土地、そして人口密集地の東京で巡り会える。そういうのはそうでないとお話にならない。そこに突っ込むのは例えばウルトラ怪獣の身体の構造に突っ込むようなもんで、それは私としては無粋で野暮だなあと思う。

 

ただこの映画はいわゆるご都合主義が多すぎて、どれもこれもが嘘になってしまっている。主軸の嘘を支えるべき現実が、嘘のほうに合わせて綻んで歪んでいる。だからリアリティを感じられずに物語に没入できなかったんだ。

 

この映画、同じ材料で、脚本をもっと煮詰めて、もっと面白く出来たんじゃないかなあ。